アーティスト名鑑*S.O.B(SxOxB)*

画像

日本のグラインドコアバンドであり、グラインドコア創生期における重要バンドの一つ、グラインドコアのジャンル形成にも大きく寄与した。 またナパームデス(NAPALM DEATH)、ブルータルトゥルース(BRUTAL TRUTH)等の海外のバンドにも多大な影響を与えていた日本のバンドであります、、

S.O.BはSabotage Organized Barbarian(サボタージ・オーガナイズド・バーバリアン)の略称であるがこの呼び名で呼ばれることはほとんどない。

バンド名をつけたのはTOTTSUANで、結成当時、略語のアルファベットを並べたバンド名で考えていて、元々SOBというスラングが意味するところのSon Of a BitchからとってS.O.Bと言うバンド名にした。

ただそのままだと面白くないと言う理由で、「Sabotage Organized Barbarian」の略=S.O.Bとした。最初にリリースした1stDEMO TAPEのタイトルは「Sabotage Organized barbarian」である。 後年のインタビューで「今年の海外での活動も考え、敢えて意味を変えた」とあるが、特段大きな理由は無かった。

現在はSxOxBとなっている。


バンドリーダーのTOTTSUANは、S.O.B結成以前はSKINHEADで、結成極初期はそれほどスピードも速くない、US-UK系のハードコア・パンクに触発されたバンドであった。オムニバス「LAST PUNK OSAKA」の前のデモは、このオムニバスに収録されている曲と比べても、オーソドックスな、スピードもそれなりの構成だった。

オリジナルメンバーのTUNKが「OUTO(オウト)」に正式加入する事になってしまったため、TOTTSUANはメンバーを固定させ、サウンド面での進化を考えて、全パートを再選考する事にした。

以前より目をつけていた、京都で少し前に解散していた「THE BONES(ザ・ボーンズ)」のTOSHIMI、同じく京都の「SELTIC FROST(セルティックフロスト)」をやっていたYASUE、スケートボードショップ「VIOLENT GRIND大阪店」でバイトしていて、「BRUTUS(ブルータス)」で活動していたNAOTOに声をかけ、新体制を確立。

このラインナップでの1st 7"EP「LEAVE ME ALONE」がS.O.Bを一躍有名にした。

YASUEが当時掛け持ちしていたSELTIC FROSTはかなり早いドラムリズムであったため、サウンド全体の加速は著しかった。ギグでの実際の演奏も、初期ラインナップと比べ物にならない速さになった。 YASUEはS.O.B加入後もメンバーを探して「SELTIC FROST(セルティックフロスト)」を継続させてはいたが、暫くしてS.O.Bに専念すべく、活動を停止させた。

当時はジャンル的にスピードコアと位置づけされ、大阪シーンで流行っていたスケートボードとの音楽的なマッチングもよく、大阪代表としてOUTOと肩を並べる存在になって行った。

1987年、「NAPALM DEATH(ナパーム・デス)」の1st LPのTHANXリストにS.O.Bの名前を見つけたTOTTSUANが、当時のボーカルであったLEE DORIAN(リー・ドリアン)と交流が始まり、日本・英国を含むヨーロッパツアーが実現。「EARACHE RECORDS(イアー・エイク・レコーズ)」所属のバンドとの接触も増えた。

同時期、NAOTOが「RISE FROM THE DEAD(ライズ・フロム・ザ・デッド)」結成のため脱退。「DANCE MACABRA(ダンス・マカブラ)」のKAWATAKAが加入。

当時のTOTTSUANとYASUEの方向性がグラインド/デスメタルで合致しており、スピードよりもヘビーなサウンドへ変化していく、、

しかしバンドのリーダーであったTOTTSUANが電車への飛び込み自殺により1995年死去。ちなみに自殺の理由だが一部の有力な説として、TOTTSUANが薬物で警察に捕まったために芋づる式に仲間が逮捕されその責任の重さからきたものとされている。。

不測の事態になり、一時期解散も危ぶまれたが、YASUEが後を引き継ぎリーダーとなり、復活し、
S.O.Bサウンドの原点として昇華。今に至る。

ぜひレベルミュージックをご堪能あれ!!

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック